代表挨拶

こんにちは。NPO法人おとむらい牧師隊の代表、石村修善と申します。
私たちは、直葬を行おうとする方にボランティア牧師を派遣する非営利団体です。
ある時私は、生活保護を受けている世帯の葬儀のほとんどに宗教者が来ていないということを知らされ、驚きました。
「人が亡くなれば、故人や遺族の経済的状況によらず宗教者が来て何らかのセレモニーをするもの」と思っていた私には、数万円を用意できなければそれが叶わないのだという事実は衝撃的でした。私は幻想を抱いていたのだと知りました。
その時に脳裏をよぎったのが、知り合いであるキリスト教会の牧師達でした。「多くの牧師が経済的事情を抱えた人たちの葬儀の司式をボランティアで行っている」と聞いたことがあったからです。
「このような志ある牧師達と経済的事情を抱えた家族をつなぐ仕組みを作ることが出来れば、この切ない社会状況を変えることが出来るかもしれない」と思い、手作りで始めたのがおとむらい牧師隊です。
2017年の設立以降、様々な方からご依頼をいただきました。
これまで葬儀社の安置所や火葬場などに牧師を派遣し、私もその多くに同行しました。そこで目の当たりにしたのは、残された皆さんの、つつましくてもよいからきちんとした心のこもったお見送りがしたい、という強い願いと、おとむらいを終えた後のほっとした、納得出来たというようなたたたずまいでした。
そしておとむらいを行った牧師達に、感謝に満ちたまなざしをお向けになりました。その姿を見て、私の思いは確信に変わりました。この仕組みは、この切ない社会状況を変えることが出来るに違いないと。
ボランティア牧師たちは、キリスト教の聖書に基づいて、人の命には、等しく量ることができないほどに高い価値があると信じています。全ての人には侵すことの出来ない尊厳があります。
そしてこれは、生きている間に何をしたか、どれだけ財産を持っていたかによって影響を受けるものではないとも信じています。
ぜひ、あなたの大切なご家族やあなたご自身のおとむらいを、私たちに行わせて下さい。宗旨を問わず、心をこめたおとむらいを致します。
NPO法人おとむらい牧師隊 理事長 石村修善
ボランティア牧師の紹介

2019年現在、福岡都市圏を中心に約30名のボランティア牧師がおとむらい牧師隊で活動をしています。

おとむらい牧師隊協力牧師
加山彰一 牧師
2024年4月に福岡市に転居し、早速、おとむらい牧師隊の一員とさせていただきました。私は、茨城県水戸市の出身で、西南学院大学神学部を終えてから、水戸バプテスト教会を皮切りに福岡、東京、新潟、USA、水戸、東海(茨城県)のバプテスト教会の牧師として従事しました。現在は息子の牧会する早良キリスト教会に出席しています。微力な者ですが、人生の終末期におられる方々にご奉仕できますことを心から主に感謝します。

松島正道 牧師
「神はこのように人をご自身のかたちに創造された」聖書
この言葉は、人は神に似せて造られ、神からの尊厳を有すると言う。人の世の最たる悲しみは、誰にも看取られず、弔われず世を去っていくことだ。私はそのような人に寄り添い、その最期を神の似姿の人として弔いたいと思う。

カリスチャペル福岡 湖城修 牧師
なぜ葬儀が必要なのか?様々なアプローチはあるでしょうが、呪いや祟りを恐れて死の世界を隔離、封印する為ではありません。身近な人の死を通して、生きる事を学び、神の手に死者の魂をゆだねる事によって、立ち上がって行く為です。葬儀を通して、悲しみや痛みの中にある人が、主にあって立ち上がるお手伝いが出来ればと思います。

二日市栄光キリスト教会 沼慎二 牧師
経済的理由や身寄りのない方で、葬儀を必要とされる方のために、無償で心を込めて弔って差し上げたいと願い『おとむらい牧師隊』に加わっています。また、お知り合いの方で、そのような必要を覚えておられる方をご存じでしたら、ご遠慮なくご紹介下さり、お申し出下さると感謝です。

福岡福音自由教会 宮内誠二 牧師
神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方」と聖書は語っています。すべての人は神によって生かされている尊い存在です。そんなかけがえのないお一人お一人との出会い、関わりを大切にし、地上の生涯の終わりの時をも、いのちの源であられる神への礼拝をもってお別れするお手伝いをさせていただきたいと思っています。

イムマヌエル福岡キリスト教会 国重潔志 牧師
「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。」と新約聖書に書いてあることから、泣いておられる方に寄り添いご一緒にお送りすることができればと思い、この働きの輪に入れて頂きました。ご一緒させて頂ければと思っております。

佐賀めぐみ教会 海東 強 牧師
私が依存症回復リハビリ施設で活動していた数年前、家族や知人に看取られることなく旅立つ方々の姿に出会いました。「もう自分を待つ人は誰もいない」と呟き、自ら命を終えてしまう方々もいました。しかし、十字架の死を越えて復活した主イエスは、生きても死んでも私たちと共におられる方。99匹を残しても、迷える1匹の羊を見つけ出し、喜ばれる方。孤独に地上を旅立ったとしても、群れから離れつつ、懸命に最後まで生きた人を必ず探し出してくれる方。その確信と共に、新たな旅立ちの場に遣わせていただけたらと願っています。

福岡めぐみ教会 大塚史明 牧師
福岡めぐみ教会、牧師の大塚史明です 18年いた岩手県盛岡市から2022年に福岡へと異動してまいりました。ここでの私の使命はすべての人に福音を伝えることです。この働きを通して、神の慰めを届けることができましたら幸いです。よろしくお願いします。

糸島聖書集会 木村公一 牧師
葬儀は文化の基本形です。ひとは親族や友人の葬儀を通して、自らの生の在り方を省みてきました。弔いの仕方には、さまざまな形があって当然です。キリスト教式の弔いとは、遺された者たちの人生が再生する祈りなのですそれ故、教会に関係をもたなかった人の葬儀に奉仕することも、宗教の大切な奉仕の務めのひとつなのです。

直方クリスチャンセンター 生武のぞみ 牧師
最初におとむらい牧師隊の説明を聞いた時に、必要としてくださる方があるなら、私もその方々に寄り添い、ご家族の最後のお別れのお手伝いができればと、この働きに加えていただきました。

古賀バプテスト教会 泉清隆 牧師
現在は古賀市の教会で牧師をしていますが、その前は福岡市西区で牧師をしていました。教会のクリスチャンのお父様の御葬儀から始まり、教会の近くの病院に入院しておられる方から是非、キリスト教式でとの御依頼を受けての葬儀、事情があり御遺体をお預かりができないで、御遺骨での追悼式を行った事もあります。どなたも召されてまいります。その時に立ち会える尊い働きの為に御奉仕させて頂きます。

早良キリスト教会 加山献 牧師
1984年生まれ。新潟出身。牧師家庭に育ち、小学2年生の時にバプテスマを受ける。
高校卒業後、音楽を学ぶために渡米するが、途中で挫折。とりあえず現地の運送業者に就職する。
2014年、西南学院大学神学部にて研修生として学び始める。
2018年、神学部選科を修了後、4月から早良キリスト教会牧師に就任。現在に至る。妻と娘二人。趣味は音楽と読書。

福岡国際キリスト教会 篠原健治 牧師
「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない」(ヨハネによる福音書第14章18節)
主イエス・キリストが弟子たち、そして、私たちにして下さった約束の御言葉です。私たちは、生まれるとき、周囲の方々の見守りの中で生まれてきます。同様に、亡くなるときも、だれかの見守りの中で亡くなっていくのが理想です。しかし、今、だれにも看取られずに、亡くなっていく「孤独死」が増えています。見た目には孤独であっても、私たちを決して見捨てない、孤独にさせない主イエス・キリストがいらっしゃることを知っていただきたい。そんな想いから、おとむらい牧師隊に参加させていただきました。

福岡西部バプテスト教会 麦野達一 牧師
葬儀は誰のためにあるのか?2000年に牧師を始めて以来ずっと問い続けていることです。その間、数多くの葬儀をしてきましたが、今私なりに確信していることは、葬儀はまずもって残された者のために行うものであるということです。天に召された方は神様の手の中にあるのですから、もう安心です。しかし亡くなった方の人生を振り返り、人柄を思い、その方との関わりを見つめることは、残された者がその後を「どう生きるか?」につながる大切な営みです。そして誰かをそのように見送ることは、やがて自分もそのように送られるのだ、という希望につながります。これからも一人の命にこだわりこの働きを続けたいと思います。

宇美キリスト教会 間村史子 牧師
「隣人を自分のように愛しなさい。」
聖書に書いてある言葉です。
人生、持ちつ持たれつ、助け合いながら生きていけたらと願っています。
神さまの愛と慰めに包まれて、お見送りする、ひと時の、お手伝いができたら幸いです。

福岡一麦教会 大坪桂子 牧師
人の死は死で終わりではない、むしろ永遠のいのちの始まりであると聖書は言います。その人なりに人生を完走された人々の最期に寄り添い天にお送りするため真心を込めた祈りと賛美をもって葬儀をさせて頂くことに使命を持つ者です。ご本人はもとよりご遺族の上に神様の慰めと祝福がありますように。

福岡エルシオン教会 木内一夫 牧師
以前働いていた教会で、海外からの来たばかりの経済的に困難な家族の葬儀を営んだことがあります。教会も葬儀屋も何も受け取りませんでした。質素な祭壇の前で、流される家族の涙と、それを受け止める主の溢れる慰めを思い出します。

小倉春ケ丘バプテスト教会 千葉仁志 牧師
「おとむらい牧師隊」に参加することは、人生の終末期にある方々や遺された方々に神の愛を届ける尊い使命だと感じています。すべての人は神によって生かされ、心から神に愛されています。そのような方々が人生の最後を迎える時に私たちは寄り添い、また、支えたいと願っています。経済的理由で葬儀ができない方々や身寄りのない方々であっても、誰もが尊厳を持って送り出されるべきだと信じています。葬儀のお手伝いを通じて、苦しみや痛みの中にある方々が主にあって立ち上がることができるよう心から祈り、奉仕したいと思います。

福岡女学院キリスト教センター宗教主事 青木麻里子 牧師
福岡の教会に赴任した2015年、石村修善さんから「おとむらい牧師隊」に誘誘われました。その際、「生活保護受給者は支給される葬儀費用から宗教者への謝礼を充てられず、宗教者、遺影、お花さえない棺だけが置かれた遺族控室でさめざめと泣くだけのお見送りをせざるを得ない方々が大勢いらっしゃるんです」と伺いました。その時、参加しますと即答したことを思い出します。その思いは9年経った今も変わりません。石村さんが熱意を持って多くの人と連帯し、この活動をみんなで支えてきた結果、墓地取得も実現しました。神様に感謝して私も地道に活動を続けたいと願っています。
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筑紫野南キリスト教会 原田寛 牧師
原田 寛と申します。2024年4月から日本バプテスト連盟筑紫野南キリスト教会に牧師として赴任しました。新たな思いで、牧師の働きに向き合っています。そして、この度、おとむらい牧師隊の末席に加えていただきました。人の死を悼み、慰めを必要としている人たちに、ひとりの牧師として関わることができればと思っています。取るに足らない者ですが、よろしくお願いします。

香住丘キリスト福音教会 野村幸生 牧師
葬儀は誰のためにあるのか?2000年に牧師を始めて以来ずっと問い続けていることです。その間、数多くの葬儀をしてきましたが、今私なりに確信していることは、葬儀はまずもって残された者のために行うものであるということです。天に召された方は神様の手の中にあるのですから、もう安心です。しかし亡くなった方の人生を振り返り、人柄を思い、その方との関わりを見つめることは、残された者がその後を「どう生きるか?」につながる大切な営みです。そして誰かをそのように見送ることは、やがて自分もそのように送られるのだ、という希望につながります。これからも一人の命にこだわりこの働きを続けたいと思います。

金城学院 松谷曄介 牧師
コメント準備中
福岡南教会 浅香卓也 牧師
甦りの主イエスの言葉が皆に伝えられますように
※上記以外にも、複数名の牧師(写真未掲載)のご協力をいただいております。
スタッフの紹介

磯貝時子(ピアノ伴奏・同伴ボランティア)
私の目には貴方は高価で尊い、私は貴方を愛している。と聖書にありますが私達は一人残らず尊厳を大切にされる権利を持っています。人生の最後迄一人ではない事を知って下さい。

安永美奈(コーディネーター)
コメント準備中

荻田幹夫(副理事長)
藤元総合病院 放射線治療科 部長、放射線治療専門医 / 緩和医療認定医 / がん治療認定医 谷山福音教会 補教師

波多江登喜子(副理事長)
社会医療法人栄光会 亀山クリニック院長、介護老人保健施設「グロリア」管理者
その他 支部
https://saitama.bokushitai.org